私たちの生活に溶け込んでいるスーパーカブ。
ホンダ(本田技研工業株式会社)が生んだ名車です。
高燃費で丈夫なつくり、独特のシルエット。
この、スーパーカブ(スーパーカブ・シリーズ)が59年間をかけて生産累計1億台を突破したのは2017年10月です。
販売が始まったのは1958年。(東京タワー竣工も同じ年です)
こんな、スーパーカブがどのように販売されてきたのかを見てみたいと思います。
スーパーカブの開発要件
スーパーカブの開発要件が定まったのは1957年(昭和32年)で、新発売の1年半前になります。
要件の一つ一つには意味があって決められているのですが(今回は割愛します )、「良いとこ取りだけ」では 無かったのです。
購入者が「製品の良さを、自分の価値観と目で発見したから購入した。」と言う自己選択 で購入してもらう事にこだわって商品開発がなされています。
その時に決められた基本要件が
●跨ぎやすいステップスルー
●道を選ばず運転しやすい17インチ(約432mm)ホイールの大きなタイヤ
●半自動変速機
●エンジンは4ストロークで出力は4馬力以上
●女性に好まれるように雨風と泥よけのフロントカバーが装備された、メカニズムを剝き出しにしない
フルカバーのボディ
これらの基本要件は現在にいたるまで踏襲されているのは驚きです。
初代スーパーカブ(C100)のスペック
開発要件を満たして開発された初代スーパーカブのスペックです。
エンジン 50cc/空冷4サイクルOHV
最大出力 4.5馬力
最高速度 70km/h
燃料消費 90km/L
自動遠心クラッチ3速ミッション
価格55,000円(セル付きは62,000円)
発売から3ヶ月が経過した頃、クラッチが滑るといったトラブルが発生するものの、
3年目の1960年にはすでに50万台を販売していました。
現在では考えられないのですが、最高速度の表記がされています。
日本から世界へ
スーパーカブ開発プロジェクトが始動した時には既に輸出戦略の構築に着手していました。
1959年アメリカ
まず最初にターゲットとなったのはアメリカです。
1959年6月、日本のスーパーカブが発売されて1年も過ぎていない時期に、現地法人のアメリカン・ホンダ・モーターが設立されました。
1950年代頃のアメリカ合衆国は、自由主義と資本主義の西側諸国の盟主であって、世界で1番豊かな国でした。
人口は2億人に達する勢いで増加していて、巨大な消費市場でした。
アメリカに需要を起こすことができれば、その商品には将来性がある。と考えたからです。
日本からホンダのオートバイを輸出して販売店におろす現地法人ですのスタートとなっています
当時のアメリカは大排気量のオートバイが人気で、日本のように1家に1台のモビリティでは無く、ピックアップトラックに乗せて海や山や運んでいき、アウトドア遊びの道具として人気が出ました。
そのことから、販売元はオートバイ専門店以外にフィッシングショップやハンティングショップへも広がっていました。
もう一つ、世界で大きな話題になったのが、世界的な人気を誇ったロックンロール・コーラスバンドの「ザ・ビーチ・ボーイズ」が「リトル・ホンダ」を作詞作曲して歌い始めた事です。
60年代の西海岸の明るく元気な青春風景を描いた1曲でした。
1961年ヨーロッパ
スーパーカブの海外進出第二弾はヨーロッパです。
1961年6月、西ドイツに全額出資のオートバイ販売会社「ヨーロピアン・ホンダ・モーター」を設立し、本腰を入れてヨーロッパにおける輸出販売を開始しました。
当時のヨーロッパは年間300万台の二輪車が販売される世界最大の二輪車市場で、小型から大型まで然るべく浸透していました。
西ドイツにヨーロピアン・ホンダ・モーターを設立した1961年に、ホンダレーシングチームはオートバイ世界グランプリへのフルシーズン参戦を開始し、その金看板レースであるマン島TTレースの125 CCと250 CCの2クラスで1位から5位までを独占して優勝しています。
しかし、日本で製造されたホンダのオートバイをヨーロッパが輸入すると、高い関税がかけられると言う障害がありました。
そのことから1962年ベルギーのアールスト市にベルギー工場を稼働させました。
1964年東南アジア
ホンダが本格的に東南アジアの市場開拓に着手したのは1964年です。
日本でスーパーカブが発売されたのが1958年で、アメリカ進出は翌年の59年。ヨーロッパが1961年ですので、東南アジア進出はかなり遅く、日本での新発売から6年が過ぎていた頃です。
ホンダはシンガポール共和国に事務所を構えて、東南アジア地域の入念な調査を開始し、1964年にタイの首都バンコクに現地法人エイシャン・ホンダ・モーターを設立しました。
当初は完成車を日本から輸入して販売する方法をとっていましたが、タイの通貨であるバーツは日本円よりもはるかに弱く、大きな経済格差がありました。
廉価モビリティーを作成するため、翌1965年にはタイ・ホンダ・マニファクチュリングが設立され、現地生産が始まりました。
こちらがホンダの2番目の海外生産拠点になりました。
1967年南ベトナムで販売開始。
スーパーカブの優れた耐久性で、すべての二輪車をブランドにかかわらず「ホンダ」と呼ぶようになるスーパーカブ神話が誕生しました。
1971年南米
ホンダが南米に進出したのは1971年です。
ホンダはブラジル連邦共和国にホンダ・モトール・ド・ブラジルを設立。
ブラジルはオートバイらしいオートバイを好む人々の国でした。そのためブラジルでは独自のオートバイが製造販売されてきました。
1億台突破のかなめ、インドネシア
1日に7,200台のスーパーカブが売れている。
2004年のインドネシアです。
インドネシアでの大ヒットが無ければ、2017年の1億台突破はあり得ませんでした。
1960年代に現地法人アストラ・グループとの輸入販売から始まり、1972年には技術提携を結び現地生産を開始しました。
2000年には合弁会社アストラ・ホンダモーターを設立し、2005年にはアストラ・ホンダの2つの工場で1日8000台のオートバイを製造し、そのうち90%がスーパーカブでした。
最後に
ホンダの2008年の発表によると、スーパーカブが販売されている国は約160カ国以上と言われています。
いろいろな国で1台1台のスーパーカブに1台1台の物語があると思います。
これからも、スーパーカブにまつわる色々なことがお伝えできれば幸いです。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
・参考文献 中部博(2018年)『スーパーカブは、なぜ売れる』集英社

